漁師志願

父親が若い頃、外国航路の船乗りだった。子供のころから海の話を聞き、海に憧れ、宝島、キャプテンクックの冒険、15少年漂流記などの海洋冒険小説に胸をおどらせた。湘南海岸へよく行っては、沖行く大型船を見て水平線の向こうに思いを馳せた。
 だが、海の道には進まず、雑誌の編集の仕事についた。25歳でフリーになったが、だんだん仕事も預金通帳の残高もなくなり、建設現場の日雇いでその場をしのいでいた。力仕事とは無縁だったぼくは、毎日日雇い労働でくたくたになった。現場で怒られながらも汗を流して働く爽快感を知った。モノ書きとしての限界を感じていたとき、新聞の小さなコラム記事にクギづけになった。
 土佐のマグロ戦士たち。たしか、そんなタイトルだった。命を賭けて地球の果てまで高価なマグロを追う漁師たちが、実に生き生きと書かれていた。読み終えたとき、ぼくも土佐のマグロ船に乗りたいと思った。がむしゃらに体を動かし、自分がどれだけ通用するのか試してみたい。子供の頃から船乗りになって赤道を越えてみたい。マグロ船に乗れば、そんな夢がかなえられるかもしれないと、東京の生活を捨てて、高知県室戸市の船員斡旋所を訪ねた。
 知り合いも紹介者もいなかった。経験がない。身元の保証がない。見習いで乗るには28歳では年がいきすぎていた。仕事のできない人間を乗せるほど、マグロ船はあまくなかった。だが、あきらめるわけにはいかなかった。決心が揺らいでも、東京には戻れないように、アパートは引き払い、生活道具も処分した。自分で船を探すしかなかった。
 室戸市の隣町、安芸市内のスナックで働き、昼は大衆食堂の手伝いをしながらチャンスを待った。料理のできる船員は重宝がられると聞いて、必死で料理を覚えた。タバコをやめ、海岸を走って体を鍛えた。店にはよく船員が飲みにきて、自分を乗せてくれと頼み込んだが「東京モンにはマグロ船が務まるか!」と、相手にしてもらえなかった。だが、どうしてもマグロ船に乗りたい、という決心は変わらず、あきらめなかった。そこまで言うのなら、と知り合いになった甲板長が引き受けてくれた。室戸船籍『第16合栄丸(299トン)』に機関部員として雇用されるまで、1年半かかった。
 (2007年 4月26日)
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