揚げ縄

「いらっしゃい!」
 嵐の海に、先引きの掛け声が響き渡る。と同時に、延縄を巻き上げるラインホーラーが「キューン」と唸りをたてて止まる。
 「トッタリや!」マグロが食いついた枝縄に、トッタリという予備の縄をスナップ止めして、延縄から外す。トッタリとは、漁師仲間言葉で、とりあえず、という意味。甲板作業中に手を抜いたりすると、「コラ!トッタリみたいなことすな!」と先輩たちから怒鳴られる。
 二人がかりでマグロ縄を引く。その二人を挟むように、モリ打ちとカギ手が獲物を待ち構える。舵を握る船長がマグロの動きを見ながら操船し、徐々に引き寄せていく。シュッ、シュッとテグスと軍手がすれる音。マグロは船底へと逃げ込む。人間とマグロの死闘が1時間にも及ぶこともある。力尽きて海面に浮き上がったマグロ目がけてモリが飛ぶ。白い飛沫あげて暴れ狂うマグロの頭めがけてもう一矢。もし、頭を外して胴体にでも刺されば、キズモノで売り物にならず、船員たちのオカズとなる。致命傷をおったマグロのエラにカギを打ち込み「セーノ」で甲板に引き上げる。
 脳天から脊髄にピアノ線を差し込んで神経を抜き、一発で〆る。傷つけないように、毛布の上で手際よく解剖する。海面から上がった鮮度のまま、-60度の急速冷凍室で骨の芯まで瞬間に凍結する。
 一度、マグロのナブラ(魚群)に遭遇すると、1本数10万円もするマグロが鈴なりにかかってくる。甲板はマグロで覆い尽くされ、解剖で捨てられるハラワタを狙って、海鳥が群れる。
 延縄にかかったマグロが暴れまわり、縄が団子のように絡まって上がってくる。これを〈マグロのおみやげ〉というが、このもつれた縄が甲板の隅に山のように積み上げられる。残業で一本、一本再生しなければならない。
 150キロの幹縄が途中で切れることもある。何時間、何日かかろうとも、縄を探さなくては商売ができない。全員がずぶ濡れになって、アッパーデッキに並び、縄に付けたブイや浮き玉を探す。闇黒の大海原をなめるようにサーチライトが動く。漁があるかぎり、船員たちがどんなに疲れていようが操業は続く。
 漁がなければ、縄は順調に上がり、縄のもつれも残業もない。適水(漁場探し)で走れば一日中、何もしないで寝ていられる。身体は楽だが稼ぎにならず、それだけ帰港が一日、一日と延びていくことになる。
(2007年 11月19日)
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